野生動物の「適応」と私たちの「適応」

秋も深まってきましたね。
今朝の南アルプス市は軽トラックの幌の表面に薄く氷が張るほどで、一番の冷え込みでした。
そして、今期も11月15日から狩猟期が始まりました。さて、これでしばらく市街地出没が落ち着くと良いですが・・・(とはいいつつ、猟期から1週間程度の間は、山際での急激な狩猟活動増加に伴って、市街地に逃げてくるという事例もありますので気は抜けません)
今回は「適応」の話です。ざっくり言うと「慣れ」です。
野生動物は私たちが想像する以上に、私たちの事も観察しています。社会性や深層心理というものではなく、体の動きや動きの突発性・連続性をよく見ているように感じます。
例えば、「急な動き」などは動物は警戒します。そうですね、垂れ下がった手を急に挙げて頭をかく動作を想像してみてください。私たちも、急にその動作をされると「えっ、何!?」と感じませんか。
ノーモーションでその動きをする、要は想定できない動きでしょうか。驚く、警戒する、本能的に忌避される動きです。茂みに身を潜めて狩猟する、そういう時に相手に「襲うぞ、襲うぞ」という動きを見られていれば、成功率が下がりますよね。突発性の先には、不意打ちのような動きが想定されます。そういう突発的な動きに対して、防衛本能のようなもので、警戒するようなものです。
先の読めない動き、それは私たち人間も緊張しますよね。しいては、恐怖すら感じるときもあります。野生動物は、そういった動きをよく観察しています。それは身を守るため、ですね。
市街地出没で対応するときは、この動きがカギになります。刺激がある動きは私たちの「不意な動き」に起因します。例えば、複数人数がそこにいると、誰かが急に向きを変えて歩き出すだけで、急な変化と捉えられてしまいます。そうしてあらぬ方向に逃げてしまい、対応が上手くいかないことがあります。
一方で、「適応」についてですが、これは逆で、連続性があるからこその、容易な範囲での予測と考えられます。「次はこうするだろう」「この動作の時はあれはしないだろう」その経験則を得ている状態です。
以前、自分の師匠が仰っていたのは「かしこさって何かわかるか?」という話をしていました。よく、動物を指して「この動物はかしこい」という話をしますよね。その際の「かしこさ」です。その際に習ったのが「かしこい、は主に2つある。1つはいわゆる、知恵があるということ。もう1つは記憶力がいいということ。」ということでした。
知恵がある、というのは、過去の経験則などから新たに対応を作り出す能力、というイメージです。ひらめきによって、咄嗟に対応できたり、解決方法を導出したりする能力といえます。一方で、記憶力がいいというのは、例えば、怖い経験や成功体験を長期的に記憶に残せるということです。生き残るためには、死につながることや痛みを伴うこと、それにつながる記憶を残すことは賢明です。
防衛本能としては、一度遭遇して植え付けられた怖い経験は長く残りますよね。例えば、イノシシの箱わな応答がそうです。取り逃がしたイノシシは同じ箱わなに入ることはまずありません。(幼獣が先に捕獲されて「スレ」てしまう状態など、まさにそのものです)そうやって生存確率を上げていくのは「かしこい」部分です。
ただ、その「かしこさ」はすべてに通じるかといえば、そうではありません。アライグマは取り逃がしても比較的同じ場所の同じわなに捕まりやすいです。(おそらく、取り逃がした際の物理的刺激が脅威と感じる閾値を下回っている可能性があります)どれだけ、脅威と感じるか、そのレベルによって、行動を変えるぐらい記憶に残る応答をするかが変わってきます。
どうでしょうか、私たちの日常や、飼っているペット、見かけた野生動物に当てはめて考えてみると、いままで気づかなかった視点が生まれてくるかもしれません。そういえば、こうやって投影しながら思いを巡らすのは、人間の「かしこさ」かもしれませんね。
野生動物を見るときに、このような好奇心は学びが多いものです。ぜひとも楽しんでみてください。

